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【アラベスク】  第14章 kiss



第2節 本気の証 [12]




 歩道の真ん中で突っ立っている姿に首を傾げ、こんな時分にどうしたのかと問いかけても明確な答えを返してこない美鶴に、よかったら屋敷に来ないかと誘ってくれた。
 正直、面食らった。
 なぜ自分が霞流の家へ行かなければならないのか?
 その問い掛けに、幸田は自然な動きで抱えていた紙袋を持ち直す。
「では、どこか他に行くところでも?」
 さすが良家の使用人だな。
 美鶴は感心してしまう。
 相手が何を求めているのかを瞬時に察し、だが深入りはせずに、必要ならば誘導する。
「他にご予定でも無ければ、昼食でもお召し上がりになりませんか?」
 そうして少し悪戯っぽく肩を竦める。
「ご来客があると、屋敷の中も明るくなります」
 暗い、屋敷なのだろうか?
 ふと沸いた疑問は口にせず、結局は幸田の言葉に甘えた。
 幸田は携帯で連絡を取り、美鶴が訪ねる旨を伝えた。
「今日のお昼は楽しくなりそうですわね」
 携帯を切り、なぜだか嬉しそうにこちらを振り返る幸田の表情に、美鶴はなんとなく恐縮してしまう。
 自分が行ったところで昼食が楽しくなるとも思えない。だが招待してもらう身分で嫌味ともとれる発言は失礼だろう。結局は何も言わずに後についた。
 最後に霞流邸を訪ねたのは、秋の初め。今はもう冬。
 富丘(とみおか)の駅から屋敷へ向かっての上り坂は、街路樹はほとんど葉を落し、道行く人も上着やマフラーを襟元で抑えながら足早にすれ違う。
 紅葉していたら、それなりに(おもむき)のある道なんだろうな。
 ぼんやりと幸田の横を歩きながら見上げる。
 秋の初めに来た時がどうだったのか、美鶴は覚えていない。歩いて帰ったはずなのだが、あの時はまだ頭が混乱していて周囲を見渡す余裕なんてなかった。来る時は――
 思わず視線を落す。
 霞流慎二に連れられて来たのだと、幸田は言っていた。
 あの繁華街で霞流の醜態を見せられ、その後の記憶が美鶴には無い。気付いたら、霞流邸の一室で、ベッドに身を横たえていた。
 あれ以来、か。
 幸田さんは、事情をどこまで知っているのだろうか?
 横を歩く姿をこっそり覗き見る。
 きっと、知っていても知らぬフリを完璧に演じきるのだろう。この人はたぶんそういう人だ。だから美鶴が一見したところで、何かを知っているのかどうかなんて事はわからない。
 そんな美鶴になど気付いていないかのように、幸田は、もうすっかり冬ですね、などと言った他愛の無い会話をポツポツと口にする。
 お母様はお元気ですか? と聞かれ、相変わらずだと答えると、可愛らしく笑った。
 こうして見てみると、普通の女性だ。美鶴よりは年上だろうが、若いと思う。
 最初に出会った時には冷たい使用人かと思ったけれど、よく考えたら無表情ってワケではなかったよな。
 初めて霞流邸に宿泊した翌日、上に羽織れるようなものはないかと尋ねる美鶴の勢いに、面食らった表情を見せた幸田。思えば、無感情な人ではない。ごく普通の人間だ。
 じゃあ何で、使用人なんてやってるんだろう?
 美鶴の偏見かもしれないが、使用人といった職業は、普通に生活をしていればあまり縁の無い職業のように思える。最近はメイドなどといった職業に憧れる女性もいるようだが、多くはその見栄えが目的で、本当に使用人として働いている人間は多くはないだろう。そもそも使用人を雇っている家自体、そう多くは無いのではないか? 家政婦という職業もあるらしいが、同じなのだろうか?
 あれこれと考えているうちに、坂を上りきってしまった。
 昼食は幸田と木崎(きざき)と三人だった。お腹など空いていないと思っていたが、食事を目の前にすると胃が動くのを感じた。
 制服姿で食事をする美鶴に対して、二人とも学校はどうしたのかなどといった質問はしなかった。それをありがたいと思う一方、どう考えても気を使わせているのは間違いない。
 大人だなぁ。
 美鶴はぼんやりと感心した。
 今年の冬は寒くなりそうだとか、駅前のクリスマスイルミネーションはどうだとかいった話題で和みながら食事を済ませた後、リビングで(くつろ)ぐように勧められてしまった。幸田が紅茶を出してくれた。
 木崎は用があるとかで、部屋には二人。
 使用人がこのようなところで寛いでいてよいのだろうか? などといった疑問を頭に過ぎらせながらカップに口をつけた時だった。
「あの」
 おずおず、と言った感じで幸田が口を開く。見ると、美鶴と同じカップを両手で包み、それを膝に置き、視線を(あか)い波に注いでいる。
「はい?」
「あの、ご迷惑でしたでしょうか?」
「え?」
「お食事にお誘いした事」
 上げる視線には、微かだが不安の色。美鶴は慌てて口を開く。
「いえ全然。むしろありがたいと思っています」
「そうですか?」
「はい、本当です」
 美鶴の言葉に幸田はなぜだかため息をつき、再び視線を落す。
「お姿をお見かけした時、なんだか美鶴様はひどく困っていらっしゃるようで、お急ぎのようでしたらお声をお掛けするのは返って失礼かとも思ったのですが、しばらくしても立ち尽くしたままのようでしたので」
「ずっと、私を見てたんですか?」
 幸田は慌てて視線をあげる。
「あ、申し訳ございません。別に悪気はなかったのですけれど」
 ひどく狼狽した様子に、今度は美鶴が慌てる。
「いえ、別に気にしてません。ただ、私は全然気付かなかったので」
 本当に、全く気付かなかった。
「えぇ、そんなご様子でしたね」
 そこで会話が途切れてしまう。
 外は寒空。晴れている。適温の暖房で、室内は心地良い。風はほとんど吹いてはおらず、ゆえにあまり激しい音はしない。聞こえてくるのは壁掛け時計の秒針。
 気まずいな。
 賑やかなのが好きだというワケではないが、この雰囲気には気まずさを感じる。何より、何もしないでいると、どうしても数時間前の出来事を思い出してしまう。耳の奥に蘇ってくる甘くて挑発的な吐息が聡のものなのか瑠駆真のものなのか、ごちゃ混ぜになって美鶴を襲う。
 無かったことにしたい。
 忘れようと他事を探す。そうすると脳裏には、涼し気な目元と薄髪が浮かぶ。
 霞流さん、どこに出掛けてるんだろう?
 途端、胸が押しつぶされそうになる。だがそれは、好きな人に逢えない切なさではない。聡を部屋へ置き去りにし、瑠駆真の部屋を飛び出して自分だけこんなところへ来てしまった事に対する、後ろめたさ。
 霞流慎二の不在をありがたいと思う。だが、やはりどこかでは、ここに来れば彼に逢えるのではないかといった期待を胸に抱いていたのではないかと、自分を疑ってしまう。
 霞流さんに逢いたいから、だから自分は幸田さんの誘いをすんなり受けてしまったのではないだろうか?
 聡や瑠駆真が自分を探しているかもしれない、今この時に、自分は、霞流さんに逢いたいと思っている。こんな時ですら自分は、聡よりも瑠駆真よりも、霞流さんを一番に気にしてしまう。
 薄情で、臆病で、自分を消してしまいたいと思う。
 聡、まだ部屋にいるのかな? 瑠駆真はあのメリエムって人といるんだろうか?

「美鶴の事が、好きなんだ」

 どうにも耐え切れなくなり、ついに美鶴は口を開いてしまった。
「あの」
「はい?」
「どうして、食事に誘ってくださったんですか?」
 キョトンと目を丸くする幸田の瞳に、美鶴は重ねる。
「普通だったら変だと思います。制服姿の高校生が道端に突っ立ってたら、誰だって変に思うはずなんですけど」
「あぁ」
 幸田はやっと合点がいったかのような表情で、少し口元を緩める。
「変だとは思いましたが、私が深入りするような事情だとは思いません」
「じゃあ、なんで声を掛けてくれたんですか?」
「それは、美鶴様が何かとてもお困りのように見えましたので」
 そこで幸田はなぜだか少し頬を紅潮させて俯く。
「わ、私が困っているように見えたから、だから声を掛けてくれたんですか?」
「はい」
「それで昼食にまで誘ってくれた」
「はい」
「そ、そうですか」
 ずいぶんとご親切にどうも。
 心内で礼を言いながら、なんとも納得できない。見知らぬ間柄ではないとは言えども、それほど親しい関係でもないはず。それなのに幸田は美鶴を気に留め、しばし観察し、声を掛け、気を利かせて昼食に誘ってくれた。
 少し、親切過ぎやしないか?







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